判例はなぜ動くのか──解題に800号の祝辞を添えて(片桐直人)(特集:創刊800号記念 時をかける判例 1956~2021年)

特集から(法学セミナー)| 2021.08.24
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」800号(2021年9月号)に掲載されているものです。◆

特集:時をかける判例――1956~2021年【創刊800号記念】

1956年に創刊された法学セミナーは、65年の時をかけて、通巻800号を迎えました。
本特集では、創刊の1956年から2021年までに出された重要判例とその展開を取り扱います。
各事件の具体的な事実関係や当時の時代背景・社会情勢をふまえて、判例は、どのように65年の時を経て、変更されていったのかを読み解き、未来で待つあらたな社会と判例に、思いを致してみましょう。

――編集部

はじめに──時をかける法学セミナー

(1) 1956年、法学セミナーは、学生版・法律時報として創刊された。創刊の功労者であり、編集代表を務めた中川善之助と木村龜二は、創刊号の冒頭に次のような「ことば」を掲載し、その意気込みを語っている。

「法学部へ通る門はどこの大学でも狭い……何とかして各大学の優れた教授たちに一堂に集ってもらい、各々得意とするテーマを講義してもらって、居ながらにして全部を聴講できたらどんなに素晴らしいだろう──これがわれわれの夢であり、また『法学セミナー』の生れる動機でもあった」1))。

歴史社会学者の福間良明は、『「働く青年」と教養の戦後史──『人生雑誌』と読者のゆくえ』(筑摩書房、2017年)で、1950年代後半にノン・エリートから一定の支持を得ていた「生き方」、「読書」、「社会批判」を主題とする雑誌(「人生雑誌」)の変遷を辿り、この時期のノン・エリート層に存在した、エリート層の教養主義的価値を共有し、それに屈折した感情を抱きながらも憧れる「大衆教養主義」の盛衰を描き出している。

法セミ創刊時にどれほど「人生雑誌」が意識されたのかはわからない。しかし、法セミが、福間が描き出したような時代の雰囲気を上手くつかんでいたことはうかがわれよう。創刊号は「何の誇張もなく『飛ぶように』売れ」、その読者の50%近くは社会人だったそうである2)

(2) あるいはそのような雰囲気は、運よく法学部に入ったけれども法学の入門に失敗した多くの学生にも共有されていたのかもしれない。当時の法セミ編集担当者は、創刊2号にあたる1956年5月号に、次のようなあとがきを残している。

「私たち(は)法律学が好きで法学部に入ったわけでは、さらさらないし、それのみか、入学して一年くらいの間は文字どおり五里霧中でした……このような悩みは単に私たちだけではないらしく、友人すべて、法律学には手を焼いているようでした」3)

そこで、法セミは、法学の基本概念を解説する骨太の論説記事のみならず、経済学や政治学の解説、学者の伝記や随想、各大学の試験問題などなど実に多彩な記事を集める方針を採った。中川・木村からすれば、それは「理論的な講義だけでは教わる方も疲れるし、また法学は形式的な理屈だけで組み立てられるものでもないから」であったが、編集部からすれば、「灰色の法律学」に「生色をとりもどす」試みでもあった4)

法セミが65年の長きにわたって続いた秘訣はここにある。法セミが誌上で展開しようとしたのは、「教室」ではなく、様々なうわさ話やこぼれ話さえ飛び交う彩りにあふれた「キャンパス」だった。

(3) それから65年。創刊当時とは大きく時代は変わったが、私たちは、コロナ禍にあって大学に通いたくとも通えない状況に追い込まれ、大学、そして法律学が、一方的な授業や教科書で得られる知識によってのみ成り立っているわけではないという当たり前の事実を再確認した。たしかにネット環境があれば勉強すること自体は難しくない。しかし、そこから眺められるのは、せいぜいモノクロの世界でしかない。学問の本当の魅力は、そのようなモノクロの世界が現実との交わりの中で色づく、その瞬間にある。そのような瞬間を大学で感じるためには、どうしても、授業中のこぼれ話や教員や友人との雑談、図書館でたまたま目にする雑誌記事や古い書物との出会いが欠かせない。

もちろん、現実のキャンパス・ライフがそのような出会いを必ず保証するわけではない。だからこそ、そのような出会いがもたらされるような工夫に満ちた法学セミナーの価値がある。基本法律科目の学説や判例の解説にとどまらない最先端の論点や時事的トピックスの紹介、そしてなにより「特集」。目次を見れば、そこには法学部で交わされるあらゆる話題が提供されていることが一目でわかる。今後とも変わらずこのような「基本的な骨格」が維持されるよう、心から応援したい。

1 時とともに変わる判例?

(1) 祝辞が長くなったが、本題へ入ろう。記念すべき本号の特集として編集部は「判例」を選んだ。法セミ読者に改めて説くのも野暮だが、具体的な事件を判断する際に適用される法が明らかにされる判例は、法を使いこなすためにも、その有り様を検討・分析するためにも──要するに法学の学習にとって──欠かせない素材である。したがって、この特集が判例をテーマに掲げることそれ自体は、なんら不思議なことではない。

ただ、ひとくちに判例を取り扱うといっても、そのやり方は様々に考えられる。たとえば、各法分野における判例の最新動向や基本判例を取り上げた解説を並べるというものもあるだろうし、法学セミナーが、法学部生や法科大学院生を中心とする学習者を主たる読者として想定していることに鑑みれば、「そもそも裁判所の判決文はどうやって読むのか」、「判決文のどこに注目すればよいのか」、「無数にある判例のどれを重点的に勉強すればよいのか」など判例学習の際の基本的なコツやヒントを説明するというものもありうるだろう。

もっとも、そのようなものは、あまりにもありふれており、800号記念特集としてはまったく物足りない。「時をかける判例」という少しひねりの効いたタイトルには、なによりも、いつもの判例特集とは一味違う、法セミの65年の歩みとほぼ重なる戦後最高裁の判例展開をダイナミックに描くような特集にしたいという意欲が込められているように思われる。もとより限られた能力と紙幅ではあるが、以下、解題として、本特集の前提となる基本的な事柄を説明して編集部の意気込みに少しでも応えたい。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ . 会員登録(無料)はお済みですか? 会員について

脚注   [ + ]

1. 中川善之助=木村龜二「創刊のことば」本誌1号(1956年)1頁。
2. 清水英夫=榎本隆「編集者のあとがき」本誌1号(1956年)80頁。
3. 清水=榎本・前掲注2)80頁。
4. 本誌2号(1956年)43頁に掲載されている次号予告のあおり文は「灰色の法律学は本誌によって生色をとりもどす」だった。