(第2回)トランスジェンダーのパス度に関する裁判例の日米比較考(石橋達成)

特集/LGBTQ・性的マイノリティと法――トランスジェンダーの諸問題| 2021.04.26
LGBTQあるいは性的マイノリティの人権問題が日本社会の中で注目を集めるようになってから久しいですが、未だその人権保障状況が充分に改善しているとはいえません。本特集では、まず「トランスジェンダー」といわれる人々の人権問題について、特に法的な観点からの分析や議論を紹介します。

はじめに

トランスジェンダーのパス度とは、トランスジェンダーが自認する性別として社会から認識され、通用する度合いを指す用語である。

論者によって定義が分かれるところではあるが、トランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別と性自認とに不一致がある者をさし、そのうちで、女性として生まれたが性自認が男性である者をFtMトランスジェンダー、男性として生まれたが性自認が女性である者をMtFトランスジェンダーということがある。

パス度をこれに即して言い換えると、例えば、MtFトランスジェンダーであれば、当人を周りがどの程度の割合で女性として認識し、当人が女性として通用するか、裏を返せば女性として振る舞うことに対して周囲が違和感を覚えないかというのがパス度という尺度である。

本稿では、パス度が権利義務の消長に影響を来すことの当否を問題とする視点1)から、日本での裁判例において登場するパス度を簡単に紹介し(「日本でのトランスジェンダーに関する裁判例」)、それとは対照的にパス度が論じられることのないアメリカでの裁判例を概観し(「アメリカでのトランスジェンダーに関する裁判例」)、いわゆる男らしさ、女らしさに関する性的ステレオタイプに基づく差別の位置づけ(「性的ステレオタイプに基づく区別的取扱いの当否」)、結びにおいてそのような差異の生じる要因を提示する(「終わりに――なぜパス度が繰り返し日本の裁判例にあらわれるのか?」)。

日本でのトランスジェンダーに関する裁判例

トランスジェンダーを巡る日本での裁判例はいくつかあるが、国・人事院(経産省職員)事件2)、淀川交通(仮処分)事件3)、浜名湖カントリークラブ事件4)、S社(性同一性障害者解雇)事件5)はいずれも、MtFトランスジェンダーに関する事案である。

事実の書きぶりに多少の違いがあるが、これらの裁判例はすべてMtFトランスジェンダーのパス度を考慮の対象にしている。

国・人事院(経産省職員)事件では、「私的な時間や職場において社会生活を送るに当たって、行動様式や振る舞い、外見の点を含め、女性として認識される度合いが高いものであった」と判断しており、これはまさにパス度(の高さ)に関する事実認定である。

浜名湖カントリークラブ事件は、原告の「容姿が女性らしく変貌した」、「声や外性器を含めた外見も女性であった」ことを認定した上で、原告によるゴルフ場内の女性用施設の利用について混乱が生じたことがなかったことを認定した。

他方、淀川交通(仮処分)事件、S社(性同一性障害者解雇)事件は、周囲の者の「違和感」「嫌悪感」というタームを用いており、これは裏からパス度を論じたものとも解される判示である。

アメリカでのトランスジェンダーに関する裁判例

これとは対照的に、アメリカにおけるトランスジェンダーに関する裁判例にはパス度に関する判断はまず出てこないと言ってもよい。

[1] 解雇に関する合衆国最高裁判例

アメリカ合衆国最高裁判所は、2020年6月15日、ゲイまたはトランスジェンダーであることを理由とする解雇が公民権法(1964年)第7編に反するという判断を下した6)

同法第7編においては、「性別を理由とする解雇」を禁止している。この判決は、同法にいう「性別」に「性的指向・性自認」を含むと判断したものではない。

そうではなく、ここでいう「性別」とは生物学的意味での性別であるとの解釈を前提とした上で、トランスジェンダーについてみれば、トランスジェンダーであることを理由として解雇するということは、不可避的に彼女(解雇されたのはMtFトランスジェンダーであった)の「性別」を理由としていることになること、なんとなれば、彼女の生物学的性別が男性であるからトランスジェンダーであるとして解雇されたのであって、彼女が生物学的に女性であれば、彼女が女性として振る舞うことは問題にされなかったのであり、解雇は(すくなくともその一部は)性別を理由としているといわざるを得ないから、という論旨である。

このロジックは非常にシンプルなものであるが、本稿の関心に即していうと、判決文には、先ほど簡単に紹介した日本の裁判例と異なり、彼女の見た目なり周囲の者の受け止めに関する記載はまったく存在しない。すなわち、「パス度」はまったくロジックの外にあると思われるのである。

[2] 学校におけるトイレ利用に関する連邦控訴審判決

この合衆国連邦最高裁判決の前後に学校のトイレ利用に関する連邦控訴審レベルの判決が存在している7)

①Whitaker v. Kenosha Unified School District事件8)
②Doe et al. v. Boyertown Area school district事件9)
③Grim v. Gloucester County School Board事件10)

①③はFtMトランスジェンダーの高校生が性自認に即した男女別トイレ(つまり男子生徒用トイレ)の利用を求めたが拒否されたために提起した裁判で、②はトランスジェンダー学生に性自認に即した男女別トイレの利用を認めている教育委員会に対してマジョリティ側が提起した事案という点で異なるのだが、やはりトランスジェンダーの生徒の見た目やそれに関する周囲の者の受け止めというのは(②のようなタイプの訴訟であっても)判文上に現れない。

各事案において、男女別のマルチユースではない、シングルユースのトイレ(いわゆる誰でもトイレ・多目的トイレ)が学校に設置されているのだが、かかるトイレの設置が十分でないために生じる不都合のほかに、そうしたトイレの利用を認めるだけでは不十分な理由として、裁判所は、シングルユースのトイレの利用しか認めないということになれば(性自認に即したトイレを認めなければ、ほぼ必然的にそういう帰結になる)、そのこと自体がトランスジェンダー生徒に対するスティグマになると指摘する。すなわち、自分は変わった存在なのだという自己認識、あるいは周囲から見て「あの子は普通と違う」という評価を招くということである11)

上記[1]の最高裁判決のあとに出された③判決は、最高裁判所による[1]判決の後となっては、FtMトランスジェンダーを少年用トイレから締め出すトイレ政策が「性別を理由とする」ものであると判断するに何ら困難がないとして、公民権法第9編についてもその考え方は導きになるものとして、性自認に沿ったトイレの利用を認めないのは性差別であり、性自認に沿ったトイレの利用が許されるべきであると判断した12)

性的ステレオタイプに基づく区別的取扱いの当否

[1]「らしさ」という規範

トランスジェンダーの見た目や周囲からの受け止めを問題にするということを多少パラフレーズすれば(むしろパス度の定義によって当然に)、その人が自認する性別らしく振る舞っているかどうか、そしてそのことを周囲がそのように受け止めているかどうか、という問題である。

MtFに則して、ごく単純にいってしまえば、女性として振る舞っているか、周囲から見てそれに成功しているか、ということである。

これを決する基準の1つが、「女らしさ」という規範である。

[2] 性的ステレオタイプによる差別の禁止

アメリカ合衆国最高裁によるPrice Waterhouse v. Hopkins判決13)は、このことに関して常に参照される判決である。

事件を紹介する。アン・ホプキンスは、プライス・ウォーターハウスにおいてシニアマネージャーへの昇格を見送られた女性である。職務遂行能力は非常に高く評価されていたが、審査委員会は、彼女の対人関係において攻撃的・非協調的であり、「マッチョ」「チャームスクールに通った方がいい」とか、もっと女性らしい歩き方、話し方、服装をするべきだと助言したという事案である。

最高裁判所は、性的ステレオタイプによる差別も公民権法第7編の禁止する性別を理由とする差別に含まれると判断した14)

周囲から見た振る舞いの女性らしさ、ここでいえば、女性は女性らしく装い、歩き、話すべきだというのは規範としての性的ステレオタイプに他ならない。

性的ステレオタイプによる差別が雇用上の判断としては禁止されるのである以上、実はトランスジェンダーに限らず(性自認を問うまでもなく、また性自認と生物学的性別とのずれを問題にするまでもなく)、女性は女性らしく、男性は男性らしく振る舞うことを前提にした雇用上の判断は許さないということである。

本稿の冒頭で、パス度とは、トランスジェンダーが自認する性別として社会から認識され、通用する度合いを指す用語であると紹介したが、このような尺度は、すでにPrice Waterhouse事件で否定されている差別的リストの一種なのである。

[3] 依然として残るステレオタイプ差別

だからこそ、一連のトランスジェンダーに関する裁判例において、トランスジェンダーの見た目や周りからの受け止めを正面から述べる判示が現れないのだと思っているのだが、実はそれほど割り切れた話でもなく、Price Waterhouse事件が存在してもなお、もっとも悪名高いところでは、Jespersen v. Harrah’s Operating Co.事件15)が存在する。

この事件は、カジノに勤務する従業員について、同カジノにおいて定めたPersonal Bestルールとして、女性に対しては、フェイスパウダー、チーク、マスカラ、リップスティック、マニキュアを施し、髪型について逆毛を立てる、カールする、スタイルを整える、のいずれかにより常に下ろしておくことを義務づけていたのに対して、男性従業員についてはこざっぱりと保つくらいのルールしかない中で、Personal Bestルールに逆らってメイクをしなかった原告に対する解雇は公民権法第7編に違反しないと判断した控訴審判決である16)

終わりに――なぜパス度が繰り返し日本の裁判例に現れるのか?

トランスジェンダーのパス度は本人にとっては死活問題と言ってもよい。性自認に即した性表現をすることが否定されていいわけもない17)

しかし、それを使用者なり同僚なり裁判所なりがよってたかって評価したり、ある判断の理由にしたり参考にしたりすることが、これまでの日本の裁判実務では少なくとも公表されている限りでほぼ例外なく見られる現象であること(「日本でのトランスジェンダーに関する裁判例」)、それに対してアメリカの近時の裁判例ではそのような兆候がないこと(「アメリカでのトランスジェンダーに関する裁判例」)を対比した。

アメリカにおけるそのような傾向の前提としてそもそも性的ステレオタイプによる差別が禁止されていること(「性的ステレオタイプに基づく区別的取扱いの当否」)は重要である。

公民権法(1964年)第7編については、1991年の改正によって、雇用上の決定の動機が競合する場合でも、決定の一要因として禁止リスト(例えば性別)を考慮したことが証明されれば、他の要素も決定要因になっていたとしてもそれは抗弁にならないことになった。

そのため、性的ステレオタイプによる差別であれ、ゲイまたはトランスジェンダーであることを理由とする差別であれ、「性別」を決定要因の1つにしていれば、それ以外の考慮要素があったとしてもそれは有効な抗弁にならない。

他方で、日本の裁判例において、パス度がなぜほぼ例外なく現れるのかを考えると、実は、「日本でのトランスジェンダーに関する裁判例」でみた4裁判例はいずれも法的には登場する場面が異なっている。

国・人事院(経産省職員)事件は、主として女性用トイレの利用を認めなかった人事院の判定の適法性に関するものとして、淀川交通(仮処分)事件は賃金請求権に関する使用者側からの就労拒否の帰責性として、浜名湖カントリークラブ事件はゴルフクラブ入会拒否の不法行為該当性として、S社(性同一性障害者解雇)事件では解雇権濫用の一判断事由として、パス度が登場する。

これらは法律的には、いずれも例外なくいわゆる総合考慮を要する判断に関する論点に対して、総合考慮要素の1つとして被告側がパス度を持ち出して、原告側がそれに対して反論をするという主張立証の構造から生じてしまっている。

公民権法をベースにした主張立証においては、動機の競合があっても、性別が一要因になっていればその他の要因があっても抗弁にならないのに対して、総合考慮要素の中には、たいていの事実関係が入ってくるという構造の違いがあるものと思われる。

法律家としては、法律論としても事実認定論としても「人の見た目」が権利義務の消長に影響を来すことが妥当とは到底思われない18)

ましてや、見た目に関する周囲(他者)の受け止めという「パス度」が権利義務の消長に関わるとすれば、問題となる場面での「周囲」(従業員であったり顧客であったり既存のメンバーであったりと様々でありうるが)のその時々、場所ごとの構成や、構成員の価値観などによって結論が左右されることになる。

そのような法律論のあり方、事実認定・法適用のあり方が一貫性を保てず衡平を害するのは明らかである。

日米での裁判事例における「パス度」の取扱いの差を考察した。前提となる法律の内容、裁判所の判例が異なることはもちろんだとしても、わが国においてトランスジェンダーの見た目について裁判所で議論が公然となされるような裁判実務は改められるべきである。

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脚注   [ + ]

1. 立石結夏=石橋達成「女性らしさを争点とするべきか――トランスジェンダーの「パス度」を法律論から考える」法学セミナー2021年5月号49頁。
2. 東京地判令和元・12・12労判1223号52頁。
3. 大阪地決令和2・7・20労判1223号79頁。
4. 静岡地(浜松支)判平成26・9・8判時2243号67頁、東京高判平成27・7・1労働判例ジャーナル43号40頁。
5. 東京地決平成14・6・20労判830号13頁。
6. 590 U.S. ___(2020)または140 S.Ct. 1731(2020
7. これらについては公立学校に関する公民権法(1972年)第9編に関する裁判例である。第9編は「合衆国における何人も、性別を理由として、連邦の資金援助を受ける教育プログラムまたは教育活動への参加から排除され、利益の享受を否定され、または差別を受ける対象となることがあってはならない(No person in the United States shall, on the basis of sex, be excluded from participation in, be denied the benefits of, or be subjected to discrimination under any education program or activity receiving Federal financial assistance.)」と定める。
8. 858 F.3d 1034 (7th Cir. 2017)
9. 897 F.3d 518 (3d Cir. 2018)
10. 972 F.3d 586 (4th Cir. 2020)
11. ②事件は、シングルユースのトイレの利用しか認めない方針は、トランスジェンダー生徒に対してScarlet “T”の烙印を押すことになる、と表現する。これはアメリカの作家ナサニエル・ホーソーンの名作『緋文字』(例えば八木敏雄訳による岩波文庫)の主人公の女性が胸に赤いAの文字を付けられたことになぞらえて、トランスジェンダーであることを示すTの赤い文字を貼り付けるに等しいと述べているのである。
12. ③判決は、極めて部分的にではあるが、当該のFtMのトランスジェンダー生徒が男性的(Masculine)な姿になっていたことや、マルチユーストイレの利用に際して一切事故があったことはないという事実に触れており、まったく見た目にも周囲の受け止めにも触れていないと言い切れない側面はある。
 なお、この控訴審判決を不服としてSchool Board側が連邦最高裁に対して裁量上告を申し立てていた。2021年6月28日、連邦最高裁はこの申立てを認めない旨の判断をした。これにより本件は控訴審の判決内容により確定した。
13. 490 U.S. 228(1989)
14. 裁判所は、性的ステレオタイプは、女性がステレオタイプに即しておとなしく振る舞えば男性と同じ仕事にたどり着けない、たくましく振る舞えば女性らしくないとして叩かれるというCatch22に女性を陥れることになる、という。ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』のタイトルそのものである(邦訳は飛田茂雄・ハヤカワ文庫)。この小説のタイトルを由来にしてすでに辞書にも載るほどの単語となっているが、意味としては、どうもがいても解決策が見つからないジレンマ、不条理な規則に縛られて身動きができない状態を意味する。さきほどのScarlet “T”もそうだが実にカラフルである。
15. 444 F.3d 1104 (9th Cir. Apr. 14, 2006) (en banc)
16. カジノ側は、勝訴はしたが、このPersonal Best方針を取りやめ、原告に対して再雇用を呼びかけた。
17. Y淀川交通(仮処分)事件判示参照。
18. 立石=石橋・前掲注1。

石橋達成(いしばし・たつなり)
弁護士(第一東京弁護士会)。東京大学法学部卒業。平成10年弁護士登録。東京経済綜合法律事務所。