放送法4条遵守義務確認訴訟・奈良地裁2020年11月12日判決(稲葉一将)

2021.03.04

1 奈良地裁2020年11月12日判決の概要

(1) 放送法4条遵守義務確認訴訟の背景と意義

商業(民間)放送とは異なり、受信料を財源とする日本放送協会(NHK)がその担い手となる公共放送制度には、「公共」性の疑義が生まれるたびに、「国営」化と「民営」化とに分裂する危機が内在する1)。しかし、この危機は、これを乗り越えようとする意識も生む。放送の政治的公平性の実現等の規範を定める放送法4条1項各号(とくに、2号と4号)は、政治的経済的少数者の意見が多数者に働きかけて、多数者が反省するという民主主義的性格を有すると思われるが、この民主主義的性格を維持し、発展させようとする裁判運動が奈良を起点として存在する。この放送法4条遵守義務確認訴訟の意義はここで詳論しないが2)、昨(2020)年の11月12日に奈良地裁にて、第1審判決(TKC文献番号:25567317、第一法規判例ID:28284100)があった。以下にて、この判決の問題点を整理しておこう。

(2) 判決の概要

原告らはいずれも被告のNHKと受信契約を締結している(2頁。以下、判決文の頁をさす)。原告らがNHKに対して請求したのは、①原告らに対し、ニュース報道番組において、放送法4条1項各号(およびNHKが自ら定めた国内番組基準)を遵守して放送する義務があることの確認と、②この義務違反によって原告らが受けた精神的苦痛の賠償である。①は、民事訴訟とともに、NHKは行政機関ではないが民間放送にはない受信契約が締結されるので、行政事件訴訟法4条後段所定の実質的当事者訴訟も追加主張された。

奈良地裁は、①の訴えをいずれも不適法な訴えであるとして却下し、②についても「原告らの受けた損害の内容及び損害額」を「判断するまでもなく」、これを「棄却」した(75頁)。

評価は後述するとして、まずは、却下判決の理由を確認してみよう。本件訴えが、裁判所法3条1項の「法律上の争訟」に該当しないからではない。原告らが「適法に受信契約を締結していることを前提」に、NHKが「ニュース報道番組において法4条を遵守して放送する義務」、つまり「受信契約上の義務」を負うことの「確認を求める訴え」は、「原告らと被告との間における受信契約上の権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争」であり、義務の存否は「法令を適用することにより判断することが可能」だと判示された(62頁)。

却下判決の理由は、本件の原告らには確認の利益がないから、というものである。まず、放送法3条によって「放送番組の編集への関与は許されないこと」、受信契約者は「極めて多数に及ぶ上、番組に対する理解や価値観等も多岐にわたり、個々の受信契約者ないし視聴者の理解や価値観を基準として、それらの者に対し、豊かで良い、事実を曲げない、有益適切な番組」を「視聴すべき権利ないし法的な利益を一般的に認めること」は、NHKの「放送番組編集の自由を著しく制約するものであり、その行使を事実上不可能ならしめることに等しいこと」からすると、同法4条1項各号が定める放送内容に関する義務は、「放送に対して一般的抽象的に負担する義務であって、個々の受信契約者に被告に対して同条を遵守して放送することを求める法律上の権利ないし利益を付与したものと解することはできない」とした(64~65頁)。

次に、「被告に同条を遵守して放送する義務があることを確認する判決」は、「確定しても、原告らは被告による任意の履行を期待するほかない」から、「判決の効力は、上記放送義務に関する紛争の解決に資するものとはいえず」、確認の利益を欠く。確認判決によって「被告が上記放送義務を任意に履行することが期待できるなどの事情」は、「判決の効力とは異なる事実上の影響にすぎない」と述べた(65頁)。

2 本判決の問題点

(1) 倫理規範説の否定という積極的意義と残された問題

本判決は、被告が主張した「倫理的義務」(15頁)という理解を否定して、原告らが請求した放送法4条1項各号を遵守する義務を負うことの確認について、これが「法律上の争訟」に該当すると判示した。国家制定法である放送法は倫理規範ではないから、ここまでは、正しい。

しかし、本判決のように、NHKと受信契約を締結している者が、誰も確認の利益を有しないというのでは、誰がNHKに対して義務を履行するように求めるのか、という問いが残る。後述するが(2(3))、主権者である受信者の意思とは関係なく、総務省が放送内容を審査できることになる。この転倒した法現象を生むところに、本判決の、最大の欠陥がある。

公共放送制度は、受信料を財源としながら、公共的な争点について少数者を含む多様な意見の存在を知り、多数者が反省するために存在するのであれば、この少数者に確認の利益がなければ、有名無実だといえよう。このような少数者が、放送法4条1項2号が定める政治的公平の原則に反する放送番組が繰り返し放送されていると何度も主張したが、NHKはこれへの応答どころか受信料の支払いを求めるばかりで(11頁、30頁以下)、現在もこの状態が続いている場合を想定してみよう。NHKが、その負うべき作為義務を懈怠していると疑われる場合は、ありうることになる。裁判例でも、「知る権利」の語を用いた大阪地判平成21年3月31日判時2054号19頁が、「政治的に公平を欠く番組、事実を歪曲した報道又は意見が対立している問題について特定の角度からのみ論点を取り上げた番組」が放送されたような場合には、「国政に関する国民の自由な意思の形成が妨げられ、その結果として議会制民主主義の根幹を成す選挙権の行使が事実上制約を受けるなどの重大な損害を被る」と述べていたのである。

放送法4条1項各号違反の疑義がある放送番組が反復され、放送における知る権利そして最終的に選挙権が侵害されるまで、権利よりもゆるい利益侵害の段階で、しかも本案で利益侵害の有無を審理する前の訴訟要件について、奈良地裁は、どのような者であれば、確認の利益を有するのかを示すべきであった。

(2) 確認の利益の判断における論理の飛躍と矛盾

原告らの確認の利益を否定した判示箇所には、複数の疑問点がある。順番に述べてみよう。第1に、原告らが「番組に対する理解や価値観等も多岐」にわたる「個々の受信契約者ないし視聴者の理解や価値観を基準」としていると述べたが、原告らは、「事実の確認を求めるものではない」し(11頁)、したがって「価値観」の共有を求めているのでもない。放送法4条1項各号に違反する放送が行われたという一点において、共通の利益を有する原告らが、集団で確認訴訟を提起したのだろう。むしろ環境保全や平和等の「価値観」の違いは、確認の利益を強く有する少数者を判断する手がかりになるのではないだろうか。

第2に、原告らは給付訴訟(義務付け訴訟)を提起していないので、放送法4条1項各号の遵守義務があることの確認判決が、NHKの「放送番組編集の自由」を「制約」するとしても、なぜ「著しく」制約するのか、この行使を「事実上不可能ならしめる」とはどういった事態か、いずれにしても大げさな判決だという印象を受ける。

第3に、「豊かで良い、事実を曲げない、有益適切な番組」をNHKが放送すること自体は、「放送番組編集の自由」の回復や実現ではあっても「制約」ではありえない。もっとも、裁判所の本案審査が、裁判所による判断代置型のそれか、それとも放送倫理・番組向上機構(BPO)の規約等の自主規制規範が合理性を有するのであれば、NHKがこれを遵守したのか否かを審査することで「放送番組編集の自由」に配慮するといった謙抑的審査かの違いは、論点であろう3)。奈良地裁は判断を回避したが、大阪高裁に期待したい。

第4に、原告らがNHKの「放送番組編集の自由」に配慮して、給付訴訟ではなくて確認訴訟を提起したところ、本判決は、確認判決では紛争解決にならないという理由でも、確認の利益を否定した。もし給付訴訟が提起されると、それこそNHKの「放送番組編集の自由を著しく制約する」もので「その行使を事実上不可能ならしめる」のだろうから、これでは、支離滅裂した判断だといわれても仕方ない。

(3) それでは、NHKは誰に対して義務を負うのか

旧郵政省放送行政局長の職を担当した経歴がある者による放送法の解説書4)によれば、放送法174条(総務大臣は、放送事業者が「この法律」に違反したときは放送業務の停止を命ずることができる)の「この法律」には放送法4条1項各号も含まれるといわれる。これと同様の電波法76条1項(総務大臣は、免許人が「放送法」に「違反したとき」は、「3月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ」ることができる)が、NHKには適用される。また、2010年11月26日の国会答弁も、総務大臣は、放送事業者が放送法4条1項各号に違反したのか否かを判断できると答弁した5)。実際に、5年の放送免許期間中においても、放送法4条1項各号に違反する放送が行われたのか否かの事実の認定が、総務省において行われており、「政治的に公平であること」に関して、放送法違反ではないが当時の郵政大臣から厳重注意が行われた例、および放送法上求められる注意義務を怠った重大な過失があるとして情報通信政策局長から厳重注意が行われた例がある6)

つまり、奈良地裁のように本案審理を回避すると、国家機関では総務省だけが、つまり司法権ではなくて行政権が、放送の政治的公平等の放送法4条1項各号の内容を判断することになる。

裁判所の判決も、「自律」(放送法1条2号)が保障されるべき放送事業に対する国家介入の一形態だが、総務大臣や総務官僚ではなくて、法の専門家である裁判官から構成される合議体の裁判所が、違法性の有無を判断するのである。さらに、放送法4条1項3号に関しては、総務大臣の行政指導は再発防止措置の報告まで求めるようになっており、BPO規約も虚偽の疑いがある番組について、再発防止計画提出の要請を定めているが7)、(法)形式・主体・手段の違いがあるとはいっても、本件で請求された放送法4条1項各号を遵守する義務の確認判決であれば、NHKに対して、報告書の提出等の作為を命ずるものではない。

3 控訴審の行方

原告らの多くは、本判決を全部不服として大阪高裁に控訴した。色々と述べたが、奈良地裁が、いわゆる倫理規範説を否定したところまでは、至当である。次の段階として、原告らの確認の利益の有無という問題が生まれている。

放送法の学問研究という観点から、大阪高裁の裁判官には、以下の2点に注意していただきたいと願う。第1に、受信料制度合憲最判(最判平成29年12月6日民集71巻10号1817頁)は、受信契約締結を強制する放送法64条1項が違憲ではないと判示した。この理由として、受信料支払義務が受信者とNHKとの「合意」によって発生すると最高裁は判示していたが、「合意」というからには、両者の間に水平的な権利義務関係が形成されなければなるまい。この最高裁判決をあだ花にしないためにも、受信契約締結義務を負う受信者の権利利益の主体と内容を積極的に示してほしい。

第2に、裁判官が最も危惧するのは、本件で原告らの請求を認めることが、NHKに対する様々な(法)形式・主体・手段・内容の規制を招く可能性であろう。学説では、かつて包括的、一般的に詳しく検討されたことがあるので、その危惧は理解できる8)。しかし、当時と現在とでは、NHKの「自律」と「他律」の主体と関係は大きく異なっており、複雑である。たとえば、BPOによる自主規制は、番組を編集する現場との関係では「他律」の一種だが、行政指導等の行政規制と対立し、これを抑制する防衛機能も有する。これと本件の原告らの請求とは、その意識において共通するところがあるので、NHKの「自律」を保障せんとする主体と利益が、NHK外部の受信者にも拡がってきている。この変化を見落としたから、奈良地裁の裁判官は、古典的な「自律」観に立脚することで、却下判決を導いてしまったのだろう。

しかし、インターネットが普及したこの時代においても受信料財源を確保したいNHKと内閣(官房)の広報機能強化という「自律」の喪失状態において、「自律」の回復を求めて、放送法規範の実現という裁判所しかできない役割の発揮が期待されている。原告らは、訴訟制度が有する適法性保障機能まで視野に入れて主張を行っていた様子だが(58頁)、控訴審においても、控訴人らの側だけが、創造的なあれこれの工夫を試みた場合には、大阪高裁の姿勢がきびしく問われることになる。新しい判決は、学問研究の発展を促す。国民主権原理のもとでの放送法4条1項各号の規範内容を積極的に示す判断を、大阪高裁には期待したい。

参考)稲葉一将「公共放送と法の行方―一つの訴訟を手がかりとして」(Web日本評論)

NHK問題を考える奈良の会ウェブサイト

稲葉一将(いなば・かずまさ 名古屋大学教授)
1973年生まれ。2012年より現職。『官僚制改革の行政法理論』(分担執筆、日本評論社、2020年)、「ネットワークに依存する国家行政と国家行政のネットワーク化」名古屋大学法政論集277号31頁以下などのほか、放送法研究の近著に、「【法律時評】2018年の放送制度改革—放送法の形骸化から崩壊へ」法律時報90巻8号(2018年7月号)1頁以下がある。

脚注   [ + ]

1. 「エコノミスト」2014年4月29日号は、「激震NHK」の特集を組み、籾井勝人氏が会長だった当時の「NHKと政権の距離が急速に縮まった」と述べていた。私も公共放送からの「逃避である国営化と民営化」に対して、「国民が望む『公共』放送の進路」を簡単に示していた(同77頁)。
2. 公共放送と法の行方――一つの訴訟を手がかりとして」のほか、稲葉一将ほか「研究報告 インターネット時代の公共放送と法」名古屋大学法政論集286号251頁以下。
3. BPO規約の現状認識がまず問われる問題だが、私も「小特集/新放送法の課題―規制機関の在り方―」法律時報83巻2号で、これを「放送法以外の規制規範の生成」(99頁)と述べつつ論じたことがある。
4. 金澤薫『放送法逐条解説改訂版』(情報通信振興会、2012年)440頁。
5. 平岡秀夫副大臣答弁のことである。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/176/0002/17611260002006.pdf
6. 鈴木秀美・山田健太編著『放送制度概論―新・放送法を読みとく―』(商事法務、2017年)366頁以下(「番組内容に関する主な行政指導」)の「5」および「13」。
7. 注3では、「非法的形式」であることと「内容」とは別問題だと述べた。
8. 塩野宏「放送における受信者の法的地位」伊藤正巳編著『放送制度―その現状と展望―』(日本放送出版協会、1976年)10頁(注7の結論も参照)は、「受信者に実体的請求権を認めること」が「他律的な番組編集の自由への介入」を意味するので、「行政的介入と同様の限界が存在する」ことに注意するように述べていた。