エボラ出血熱とグローバルな正義(瀧川裕英)
この状況を受け、Web日本評論では、公法および法哲学の視点からパンデミック(または感染症)を分析した「法学セミナー」2015年4月号掲載の特別企画「パンデミックと法」を再公開します。
◆この記事は「法学セミナー」723号(2015年4月号)に掲載されているものです。◆
1 エボラ出血熱
本稿を執筆している2015年2月現在、エボラ出血熱の感染がリベリア・シエラレオネ・ギニアの3か国(以下では、「流行3か国」と呼ぶ)を中心に拡大している。最近の患者発生数は減少しているものの、患者数は2万人を超えて、なお増加しつつある1)。今シーズンの患者数が日本国内だけで700万人を超えたと推計されるインフルエンザほど、急速かつ広範な感染の広がりはないものの、致死率が約50%と非常に高く、有効な治療法やワクチンは未だ確立されていない。
現在のところ、日本国内で患者は発生していないが、感染疑い例が報告される度に、マスコミで大きく報道されている。いずれ日本でも患者が発生するかもしれない。この状況にどのように対処すべきだろうか。日本だけでなく地球全体を視野に入れて、考察してみよう。
2 グローバルな隔離
有効なワクチンがない現状で2)、エボラ出血熱の感染拡大を防止する有効な方法は、患者の隔離である。エボラ出血熱は、エボラウィルスに感染して症状が出ている人の血液や体液などに触れた際に、ウィルスが傷口や粘膜から侵入することで感染するからである。
日本の感染症予防法では、エボラ出血熱は最も危険性の高い「一類感染症」として位置づけられ、患者に対する入院措置や、かかっていると疑うに足りる正当な理由のある者に対する強制的な健康診断が許容されている。また検疫法では、病原体が国内に侵入することを防止するために、患者の隔離や、感染したおそれのある者の停留が許容されている。
こうした強制的な措置は、個人の自由に対する強力な制限となる。感染症の発生予防・蔓延防止という公衆衛生上の目的と、患者等の人権尊重の間で、いかにバランスをとればよいだろうか。特に停留は、感染が確定していないにもかかわらず、感染したおそれのある者に対してなされる措置であるため、個別の事例では難しい判断を迫られることになる。
脚注
1. | ↑ | 最新情報は、WHO(世界保健機関)が毎週発表している。http://www.who.int/csr/disease/ebola/situation-reports/en このことは、一つの国では対処することが困難なグローバルな疾病リスクに対して、国際機関が果たす役割の大きさを示す一例である。 |
2. | ↑ | ワクチンの配給に関わる正義論については、Greg Bognar and lwao Hirose, The Ethics of Health Care Rationing: An Introduction (Routledge, 2014) を参照されたい。 |