憲法と感染症(大林啓吾)

特別企画/パンデミックと法| 2020.03.05
世界保健機関(WHO)は2020年2月28日、新型コロナウイルスによる感染症(COVID-19)の危険性評価で、世界全体を最高レベルの「非常に高い」に引き上げました。一方でWHOは、感染の連鎖を断ち切ることができれば、新型ウイルスを抑え込むことができるとしています。
この状況を受け、Web日本評論では、公法および法哲学の視点からパンデミック(または感染症)を分析した「法学セミナー」2015年4月号掲載の特別企画「パンデミックと法」を再公開します。

◆この記事は「法学セミナー」723号(2015年4月号)に掲載されているものです。◆

感染症はおそろしい。14世紀にパンデミックを引き起こしたペストは数千万人の死者を出し、当時のヨーロッパの人口が約2~3割も激減したことはよく知られている。また、感染症は身近なものでもあり、毎年流行するインフルエンザや一般の風邪も感染症である。高齢者の主な死亡原因が最終的には肺炎などの感染症であることからすると、感染症の克服は人類発展のカギを握っているといえるかもしれない。

1 憲法と感染症

このように感染症対策は壮大なテーマに関わるものであるが、これを憲法の観点から見た場合、まずは誰が感染症対策の責務を担うのかという問題に取り組まなければならない1)。グローバル化や開発によって人や物の移動・交流が広まると感染症の流行する範囲も大きく広がった。その結果、パンデミックに至る可能性が高まり、国家単位に縛られない国際的対応の需要が高まっている。が、それでもなお、重要な役割を担うのは国家であることに変わりはない。国家が国民の安全や衛生を守ることは夜警国家以来の伝統である。

近年では、破滅的な被害がもたらされるおそれがある場合には科学的な証拠がなくても、国家は事前に備えておかなければならないという「予防原則」(precautionary principle)が提唱されている2)。たしかに、未知の病原体による感染症がパンデミック化すれば、深刻な被害をもたらすおそれがある3)。パンデミックになると、感染症自体の被害に加え、その恐怖が社会的パニックを引き起こし、政府もパニックに陥ってしまうという二次的被害の問題もある。感染症を素材にしたパニック・スリラー映画も多く、「コンテイジョン」(アメリカ、2011年)のキャッチコピーは「『恐怖は』ウイルスよりも早く感染する」というものであった。また、「アウトブレイク」(アメリカ、1995年)では、感染が広がっている町を空爆するか否かという選択にまで迫られており、パニックが緊迫した事態を引き起こす可能性がある。

とはいえ、予防にはコストもかかることから、事前にできることは限られる。感染症は、<感染源─感染経路─感染>というプロセスで生じるものであり、パンデミック化を防ぐためには感染経路を絶つことがきわめて重要である。実際、2014年のエボラ出血熱流行の際も、そのパンデミック化を予防するためには感染経路を絶つことが重要であるとされ、各国は検疫を強化し、水際作戦にやっきになった。憲法の次なる問題は、ここからである。

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脚注   [ + ]

1. 感染症対策に関する国家の責務については、大林啓吾「パンデミック対策に関する憲法的考察──国家の公衆衛生に関する責務とその限界についての憲法的アナトミー」日本法学78巻1号93頁(2012年)PDFはこちら を参照。
2. CASS R. SUNSTEIN, LAWS OF FEAR 18-19 (2005). なお、予防原則の定義は様々である。
3. 特にウイルスが病原体である場合、抗生物質が効かないため、ワクチンを開発するまで効果的な対処ができないことがある。