イントロダクション(大林啓吾)

特別企画/パンデミックと法| 2020.03.05
世界保健機関(WHO)は2020年2月28日、新型コロナウイルスによる感染症(COVID-19)の危険性評価で、世界全体を最高レベルの「非常に高い」に引き上げました。一方でWHOは、感染の連鎖を断ち切ることができれば、新型ウイルスを抑え込むことができるとしています。
この状況を受け、Web日本評論では、公法および法哲学の視点からパンデミック(または感染症)を分析した「法学セミナー」2015年4月号掲載の特別企画「パンデミックと法」を再公開します。

◆この記事は「法学セミナー」723号(2015年4月号)に掲載されているものです。◆

感染症は、いったん流行すれば圧倒的な脅威として人類に襲いかかるにもかかわらず、その危機が終息すれば、人々の記憶からリセットされがちである。卑近な例が、2009年の新型インフルエンザである。新型インフルエンザのパンデミック1)が懸念されたとき、WHOがフェーズ(警告レベル)を上げるにつれて各国でも危機感が募り、日本政府も対策本部を設けるに至った。だが、思ったより事態が悪化しないまま沈静化すると、政府は季節性インフルエンザと同等の扱いとし、「何事もなかったように新型インフルエンザの脅威は忘れられている」2)

しかしながら、パンデミックのリスクを考えると、過去の様々な経験を忘れることなく、感染症一般に対して常に警戒しておくべきである。世界トップ水準にある日本の衛生状態からすればもはや感染症が深刻な被害をもたらすことはないとタカをくくっていると、とんでもない被害が生じるかもしれない。実際、2014年のエボラ出血熱流行の際には、パンデミック対策が不十分であったことが垣間見えた。エボラ出血熱のパンデミック化が懸念されたとき、日本政府はあわてて検疫機能の強化や隔離先の指定病院の整備などの対策にとりかかったが、住民の反対により国立感染症研究所ではBSL43)と位置付けられるエボラ出血熱は研究できないことが判明した4)。研究ができなければワクチン開発もできないことから、もし日本でも流行していたら大きな被害が出た可能性がある。

そもそも国民の生命や健康を守ることは国家の古典的責務であることからすれば、国家はBSL4の感染症が発生した際に対応できる状態にしておく必要がある。また、現代行政国家では予防的対応も要請されることからすると、国家は予防策を講じておくことが要請されるといえよう。

他方で、この問題は国家の責務に限らず、人権にも大きな影響を与える事柄である。感染症の予防策は国民の生命や身体に直結することが多く、とりわけ感染者に対して政府が生の権力を用いる場面がある。その典型例が隔離である。隔離は、身体を直接拘束するものであり、人権への侵害の程度は著しく強い。パンデミックが起きれば、大規模な隔離(入院措置)が行われると予想されるが、それは人権に配慮して必要最小限の方法で行われなければならない。このようにパンデミックは予防と自由のジレンマという憲法学になじみのある問題を提起するものである。

パンデミックは自由で安全な社会とは何かをあらためて問いかける。たとえば、パンデミックが起きたとき、感染者が感染したことを隠す自由は認められるだろうか。これを認めると他人を信用できなくなり、社会がパニックに陥るおそれがある。このとき、我々はどのように対応すべきか。また、パンデミックはその名の通り世界的に流行することを示すことから、誰が治療の責任を負うべきかという問題を投げかける。国単位では適切な対処ができないとき、グローバルな観点から責任を見つめ直すことの必要に迫られる。その意味で、パンデミックはグローバル正義論の一素材といえる。こうした憲法や法哲学に関する問題を考える際にはどのような法制度になっているかも踏まえておく必要があり、パンデミックの問題は行政法的考察の対象でもある。

このように、パンデミックは様々な法的問題をはらんでいるが、これまであまり法的分析がなされてこなかった。そこで本企画では、以上の問題意識を念頭に、公法および法哲学の視点からパンデミック(または感染症)と法が関わる世界を覗いてみることにする。

(おおばやし・けいご 千葉大学准教授)


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脚注   [ + ]

1. 一般に、パンデミックとは感染症の世界的流行を指し、一定の地域で流行する場合をエンデミックといい、より広範囲で流行する場合をエピデミックという。
2. 真渕勝「リスク管理のプラットフォーム書斎の窓636号23頁(2014年)。
3. BSLとは、バイオセーフティーレベルのことで、病原体の危険性に応じた取扱いのレベルを指す。
4. 2014年10月16日毎日新聞朝刊、2面。